タバコの歴史と禁煙運動

タバコはまずどんな分類に入るのか?
食品なのか?薬物なのか?この辺が明確ではなく,
またなんだか昔からの日本人の習慣のような錯覚に陥っています。
卑弥呼の時代の呪術に使われていたのか?
弥生時代農耕の合間に嗜好品として人々に安らぎを与えていたのか?
そうではないのです。
http://www2.health.ne.jp/library/0500-1.htmlから引用します。

タバコの歴史

●マヤ文化に根づいていたタバコ
1492年にコロンブスが新大陸発見、喫煙という奇妙な風習(宗教的儀式)をヨーロッ
パに持ち帰りました。
スペイン同様、大航海時代の主役・ポルトガルも、新大陸に足跡を記し、喫煙の習慣を
知ります。他のヨーロッパ各国へは、主にこの両国を介して、16世紀半ばから後半にかけ、
次々に伝えられました。
紙巻タバコの起源は、スペイン人にあると言われています。タバコの葉を巻くものは、
アメリカ大陸では植物の薄い皮でしたが、スペイン人が紙に代えたというわけです。
それとは別に、現在のような紙巻タバコの形態は、エジプト人によって広められたと
いう説もあります。
●欧州社交界の花形へ
フランスでは、駐ポルトガル大使のジャン・ニコが、1559年に新しい医薬としてタバコを
王室に献上します。それをカトリーヌ女王が頭痛薬として用いたことから注目され始め
ました。
その後、パイプ喫煙が普及しますが、やがて貴族が煙を吐くのは見苦しいとされ、上流
社会では嗅(か)ぎタバコが用いられるようになります。
イギリスは16世紀後半に新大陸に進出し、ウォルター・ローリー卿らがパイプ喫煙を
持ち帰りました。そして、社交界では乗馬、狩猟などと共にパイプをくゆらすのが紳 士
の条件とされるようになりました。
後に、30年戦争などがあり、各国の軍隊をはじめ多くの人や物資の往来があり、
タバコもヨーロッパ中に広がっていきました。
●海路アジアへ
1543年種子島に鉄砲伝来とともにタバコも上陸しました。島主、種子島時堯(ときたか)は鉄
砲の威力に驚嘆。タバコは南蛮貿易が盛んになるにつれ国内に広まり、やがて国内で
もタバコの生産が始まりました。

つまりタバコは今から約400年あまり前に日本に伝わったに過ぎない舶来品です。
その後の江戸時代、庶民の間で習慣として広まっていたと考えられるタバコが,明治以
降その習慣性:依存性を利用し,税を徴収する手段となっていきます。

1894〜95年(明治27〜28年)に,日清戦争が起こりました。戦争に多額の予算を費や
した政府は、財政収入を増加させるために、1896年「葉たばこ専売法」を公布しまし
た。これにより政府は、それまで民営であったたばこ産業のうち、まず葉たばこを
独占的に買い上げ、それを製造業者に売るようにしました。
 さらに、1904年(明治37年)、日露戦争が起こりました。この時も軍事費を調達する
一手段として、「たばこ専売法」を公布して、製造までもが国営〔大蔵省専売局〕に
なりました。
たばこによる収入は.年間の国家収入の10%をしめ、国家の重要な収入源となったのです。
 同時期にもう一つタバコに関わる重要な法案が成立しています。それは日清、日露
戦争の合間の明治33年に成立した「未成年者喫煙禁止法」です。当初は幼者喫煙禁止
法案として18歳未満の喫煙を禁じる法案として提出されましたが、国威発ようの盛
んな折、徴兵年齢に達する20歳までは喫煙を禁ずるように修正され可決されました。
諸外国で徴兵検査不合格者に喫煙者が多く、当時でも既に喫煙が害悪との認識が
あったようです。
「未成年者喫煙禁止法」と日露開戦のどさくさに公布された「たばこ専売法」を合わせると
1.20歳まではタバコを我慢して立派な兵隊になれ
2.兵隊になれない成人はタバコを買って戦費を納めろと言っていることになります。

この国の,公衆衛生上の躓きはここが原点だと思われます。
人体に対して多大な害を与えるタバコを,国が奨励し,国が管理することなく消費の拡
大を目指したつけが今,さまざまな疾病という形で喫煙者,非喫煙者に襲いかかってきた
のです。
 1949年〔昭和24年〕、日本専売公社が発足しましたが、たばこ専売の形はそのまま
でした。しかし、健康問題で販売量がのびないなどの理由から、1985年〔昭和60年〕4月、
専売公社は「日本たばこ産業株式会杜」という名前に変わり、民営化されることになり
ました。けれども、政府が3分の2の株式を持っていて、多くの制度は、それまでとあまり
変わっていません。変わった点は、輸入販売が自由化されたこと、健康に対する注意
表示を義務づけたこと、広告に対して、未成年者の喫煙防止と健康への配慮の義務を
もうけたことなどです。


参考:「未成年者喫煙禁止法」

明治32年(1899年)12月7日付で根元正は賛同する4人の議員らとともに18歳未満に適用
する幼者喫煙禁止法案を共同提案した。当時といえば10歳にも満たない子供が父親と
喫煙する姿があちこちでも見られ、小中学校の校内で堂々と喫煙するものまで見られて
社会問題と化していた。ある中学の先生がそれを憂えて禁煙したと、当時の読売新聞は
伝えている。まさに日本はたばこの専売制度を敷きこの依存性の強い薬物に税収を
見込んで居たところであった。正は煙草官業は非なりとの演説を行なって居る。
正は国会での議論の論理の展開上、徴兵するときに強い兵隊がとれない、という富国
強兵を論拠の柱とした。しかしながら、私の幼いころのお伽話としての正伝からする
と、正は皆の健康、殊に未来をになう者の強くあるべきことを心から望んでいたと考えたい。
子供たちに未来を託すのだ。
 明けて、1900年1月25日、20歳未満の喫煙を禁止すると対象年齢を引き上げて提出さ
れた「未成年者喫煙禁止法案」は衆議院を通過し、同2月20日には貴族院でも可決となる。
3月8日に未成年者喫煙禁止法は発布され4月1日から施行となった。




英国のジェームズ一世の「タバコ排撃論」(1603)
眼や鼻にいとわしく、脳に有害で肺に危険な風習である。何よりもその悪臭ふんぷん
たる煙は、まるで地獄から立ち上る業火の煙のようである。

貝原益軒(1630〜1714)の養生訓 
「少しは益があるといっても損が多く病になることあり。また火災の心配もある。習
えばくせになり止めがたい。初めから吸わぬにこしたことはない。貧民には費用がか
さむ。」
元禄時代(1680〜1709)

禁煙運動の始まり

 英国はヨーロッパで最も早く喫煙が流行した国である。80年前から急激に肺がん
の死亡率が高まったため、オックスフォード大学のドール博士は4万人の医師にアン
ケートを送り、10年の追跡調査をした。その結果、肺がん発生は、1日に35本吸う
人は全く吸わない人の45倍の罹患率であり、男性の95%は喫煙が原因であると報告し
た。喫煙関連疾患が全死亡に占める割合がピークの34%にも達したのは25年前であ
るという。その後テレビでの広告禁止や禁煙運動で喫煙率は20%台に減少した。
 昭和38年(1963年)はアメリカ医師会が先頭に立ってタバコ追放に踏み出した
年。米国もタバコ対策を柱にしたがん対策が効を奏し、全がんの死亡率が10年前から
減少し始めている。(日医ニュース:平成10年7月5日)
 日本では、昭和41年(1966年)から、平山雄(たけし)医学博士の26.5万人を対象
にした17年間にわたるコホート調査が開始された。その結果が出た頃(昭和50年代
後半)からタバコの害が広く知られるようになった。
 しかし、わが国は財務省管轄のたばこ産業の健全育成を図る「たばこ事業法」がネ
ックとなり今もって高い喫煙率にあり今後も肺がんは増え続ける。


英国のジェームズ一世の「タバコ排撃論」(1603)

眼や鼻にいとわしく、脳に有害で肺に危険な風習である。何よりもその悪臭ふんぷん
たる煙は、まるで地獄から立ち上る業火の煙のようである。


貝原益軒(1630〜1714)の養生訓
 
「少しは益があるといっても損が多く病になることあり。また火災の心配もある。習
えばくせになり止めがたい。初めから吸わぬにこしたことはない。貧民には費用がか
さむ。」 元禄時代(1680〜1709)




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